ヤマハ YDS1 60年代 本格派スーパースポーツと時代の背景

ヤマハのYDS1は、2スト派ライダー達のハートを熱くしたマシンです。4000rpm以下では、全く役に立たないシビアでシャープなエンジン、ハイギアードでクロスレシオのミッション、そして加速中の独特の吸気音。また、ミッションのタッチは、ストロークが長い硬めのもので、決して使いやすいものではなく、しっかりした操作技術が必要でした。

ホンダ CR93 市販レーサー 鈴鹿オープニングレースに出走

「子供の時からの夢は、自分で造ったクルマで、世界チャンピオンになることだった。」と語った本田宗一郎が、鈴鹿サーキットの生みの親でした。本田は、ドライバーとして1936年(昭和11年)6月に1周1.2kmの多摩川スピードウェイで開かれた第1回自動車競走大会に自ら改造した「浜松号」で出場したほどのレース大好き人間だったのです。

ホンダ CR110 走る精密機械

ホンダ CR110が、発売された1962年(昭和37年)は、慶應大学国文学の池田弥三郎先生が、「女子大生亡国論」などという今から考えると暴論を真剣に唱えた年です。なんでも、私立大学の文学部では、女子大生が半分以上占めるようになり、花嫁学校と化しているという論旨を婦人公論紙上に載せたのです。今の時代から見ると暴言以外の何物でもないですが、1914年生まれの池田氏には、女性の台頭が日本をダメにすると本当に思ったんでしょう。

キャブトンRST みづほ自動車 フラグシップモデル

1954年4月27日、日本でオードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」が公開されました。 当時新人女優のオードリーは、既にこの映画で主演女優賞を獲得。その情報はもちろん日本にも知れ渡っていて、映画が公開されるとたちまち“オードリー旋風”が巻き起こりました。この映画の影響か、ソフトクリームが大流行しました。