島津モーターNS号 純粋な国産車第1号

20世紀の初頭、日本で初めて国産バイクが誕生しました。 それから今年で110年の年月が流れました。大げさではなく、振り返ってみますと星の数ほどのオートバイが生み出され、そして消えていきました。 まるで生物の進化を観るようなドラマチックな歴史です。

メグロ セニア T1 by 目黒製作所

1955年(昭和30年)に、白バイ用として国産車最高の性能を誇ったバイク。1928年(昭和3年)にミッションのギアメーカーとして設立された目黒製作所は、1937年に日本で初めての個人用中型オートバイであるZ97型を発売、そして、国産車初の650ccとして登場したのがセニアT1。

ヤマハ YDS3 1964年2ストのヤマハの進化系 時代を変えたマシン

2サイクルエンジンに分離給油方式が採用されたことで、その安定した出力への信頼性に、多くの称賛が集った。YDS3は、YDSシリーズとしては、初の採用されたモデルで市場で注目され、従来モデルとの比較が、様々な紙面でも取り上げ。混合給油での煩わしさから開放された新しいユーザーにとっては、多くの利点が受け入れられ喜ばれました。

カワサキ250A1 世界への飛躍を遂げるマシン

ロータリーディスクバルブを採用し、他社とは一線を期したエンジンは、性能上でもさることながら、実際の操縦性においてもライバル車を凌ぐものでした。 3200rpm辺りから立ち上がるトルクは、4000rpmを境にレッド・ゾーンの始まる8250rpmを過ぎても、なお加速感を伴ってマシンを前進させました。

ホンダ スポーツカブC110 ボーイズレーサーは少年の夢と憧れ

そんな僕も昨年60才になり、定年を迎えました。でもそのまま働き続けています。そして今年デビューして60年を迎えるオートバイがあります。そう、ホンダのスーパーカブです。1958年のデビューです。そしてアメリカには、59年にデビューして60年近く歌い続けているシンガーソングライターがいる。そうボブ・ディラン。長く続けることは偉大です、

スズキ スーパースポーツ M40 1963年 オリンピック前の激動時代

鈴鹿サーキットの第一回目の記念すべき全日本ロードレース選手権では、RM62として50ccクラスでトップ争いに終始しました。トップは逃したが、2位から4位まで独占。翌1963年は、鈴鹿サーキットにおいて、第一回目の日本GPが開催。スズキは、50ccクラス2位から6位まで独占、125ccクラスで優勝と、海外での実績を国内でも実証済み。

カワサキ650W1 ライバルは英国車から誕生して50年を超えて

1965年頃の日本は、50ccから250ccクラスの高回転・高出力のスーパースポーツモデルが華々しい時代でした。ところが大排気量のオートバイらしいオートバイがほとんど輸入車で国産ではわずかなモデルしか。国内モデルでは、ライラック・マグナムか、カワサキ500メグロ・スタミナK2、そして新参入のホンダCB450くらいでした。

スズキ T20 遅れてやってきたスポーツモデルは世界最速

スズキの技術力の高さを世界に認識させたモデルです。スポーツモデルとしては、他のメーカーの後塵を拝していましたが、だからこそ、全てにおいて、世界最高をめざして開発されました。世界最高の水準を得るため立てられたコンセプトは不可能との思えるもので、失敗の連続でした。しかし

ホンダ CR72 1962年 日本の自動車産業飛躍のプロローグ年

1962年(昭和37年)と言えば、鈴鹿サーキット開業の年です。この年の記念すべき第一回鈴鹿全日本ロードレース大会のノービス250クラスにホンダCR72が2台エントリーしました。ヤマハTD1の乗る三橋実、片山義美らに善戦しましたが、加藤爽平、粕谷勇の乗るCR72は、TD1の上位独占を阻止するのがやっとだたそうです。